総院長紹介

総院長 辻村 傑(SUGURO TSUJIMURA) プロフィール

院長 略歴

総院長紹介(つじむら歯科医院グループ総院長 辻村 傑)

1993 神奈川歯科大学 卒業
1995 つじむら歯科医院 開業
1997 医療法人社団つじむら歯科医院 開設
2008 神奈川歯科大学生体管理医学講座 薬理学分野大学院
2010 南カリフォルニア大学卒後研修コース修了
南カリフォルニア大学客員研究員
南カリフォルニア大学アンバサダー(任命大使)
2012 ハートフルスマイルデンタルクリニック茅ヶ崎 開業
2012 UCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校卒後研修コース修了
2013 インディアナ大学 歯周病学インプラント科客員講師
2014 インディアナ大学医学部解剖学 顎顔面頭蓋部臨床解剖 認定医
2017 iDHA 国際歯科衛生士学会 世界会長就任
2020 iACD 国際総合歯科学会 日本支部会長

[略歴]

2008/7
University of Rochester school of dentistry (Advanced Direct and Indirect Esthetic Restrations)
2009~2010
University of Southern California Herman Ostrow School of Dentistry (USC Comprehensive Training In Modern Dentistry)
2010/10~
・University of Southern California Fellow
・USC Century Club : Premiun International Member
・USC Japan Ambassador
2010
・USA Indiana University School of Dentistry
Fellow No:815587 Reserch Dental whitening
2010/3
ACE : Dental Implant Traning Los Angeles California Peter K moy
2010/3
University of California Los Angeles School of dentistry Continuing Dental Education (Contemporary Implant Therapy)
2010/5
The John A.Burns School of Medicine University of Hawaii (Anatomical Seminar for Implant Dentistry)
2011~2012
UCLA School of Dentistry Continuing Dental Education
2011/6
Indiana University School of Dentistry
Implant Research Affiliate Fellow
Japan Implant Practice : Authorization
Visiting Implant Research Fellow
2012/3
Indiana University School of Medicine (Department Anatomy and Cell Biology)
2014
Indiana University School of Medicine
Department of Anatomy and Cell Biology
Certificate for Contribution as Instructor of Maxillofacial and Skull Anatomy Course
2017/6
International Dental hygienist Association World President
【総院長辻村傑公式facebookアカウント】https://www.facebook.com/tsujimurasika

院長所属

  • IIPD国際予防歯科学会認定医
  • 日本抗加齢医学会認定医
  • 日本歯科人間ドック学会認定医
  • 日本口腔医学会認定医
  • セカンドオピニオン専門医
  • DGZI国際インプラント学会認定医
  • 日本咀嚼学会会員
  • 日本保存学会会員
  • 日本全身咬合学会会員
  • 日本口腔インプラント学会会員
  • 国際歯周内科学研究会会員
  • 日本口腔内科学研究会会員
  • 床矯正研究会会員
  • 神奈川矯正研究会会員
  • 日本臨床唾液学会会員
  • NPO法人歯と健康を守ろう会会員
  • 日本ヘルスケア歯科研究会会員
  • 伊勢原市中央保育園学校歯科医
  • 日本食育指導士
  • 健康咀嚼指導士

総院長辻村傑・つじむら歯科医院のあゆみ

私、辻村傑は東京都葛飾区の病院にて真夏の暑い日、やさしい母と包容力のある父のもとに8月1日に長男として2860gで元気にうまれました。

幼少期

父は昔からスポーツが好きで、生後まもなく私に自分の頭よりも大きなサッカーボールをプレゼントしてくれました。個人競技でなく協調性を養うためにと団体競技をさせたかったようです。

父は建築会社に勤めるサラリーマンで、引越し、出張が非常に多く母は寂しい日々を送っていたと今でも時々その頃のことを口にしています。私は幼少期、三浦半島の久里浜にあるハイランドという眼下に海を見渡せる風光明媚な環境で育ちました。

晴れの日、雨の日、風の強い日や、きれいな夕焼け、四季折々の素晴らしい景色を毎日眺めていた記憶が今でも鮮明に思い出されます。そのためか今も海が大好きで、休みの日には散歩に海へ出かけ、家族で旅行をするときはいつも海のある所へいきます。特にここ数年は石垣島の海の美しさに魅せられ、年に2回は足を運んでいます。またいつかは海の見える家に住みたいと夢を描いています。

母によると小さい頃から細かい作業が好きで、時間さえあれば、紙とはさみを手に色々なものを作り、創意工夫しながら作る紙ヒコーキが特に好きで、いつも家中紙ヒコーキだらけだったそうです。その頃の体験も今の歯科医師という仕事に生かされているのかもしれません。

また小さい時から動物がすきで、久里浜では土佐犬にまたがって散歩をしたり、家では日本猿を飼っていて、いい遊び相手だったそうです。サルにからかわれていたとも聞いています。

その後、茅ヶ崎に引っ越してきてからも犬・リスザル・インコ・ハムスターなどなどありとあらゆる動物に囲まれ育ちました。

言葉の通じない動物と日々接することで多くのことを学んだ様に思います。自分の子供にも動物と共に成長することを体験させたい意味もあり長女・次女が生まれてから、まもなくミニチュアダックスの「さくら」を家族に迎えいれ一緒に生活をしています。その後に生まれた3人目の長男は現在本当に動物好きで、愛犬さくらと一緒に毎日家中を走り回っています。そのためか、3人とも花や生き物・人に対し本当に優しく大切に接しているように思われます。

私が小学校のときは、出生時の父の思いあってか? 6年間サッカーに没頭する日々を送り、チームワークの大切さや日々の努力により勝利を手にすることを学びました。

サッカーと同時にカブスカウト・ボーイスカウトに入団しアウトドア・ライフの楽しさ、奉仕活動の意義・自然の素晴らしさ、怖さ、自然環境の保全の必要性を身をもって感じました。自然の怖さを味わったのは岩手県で行なわれたジャンボリー(4年に1度行なわれる大会の様なもの)でのことでした。広い山の一面が野営地となり、私がリーダーだったチームは比較的平坦な場所を選びテントを張り、炊事場、資材保管用テントをつくり、野営していました。数日後の夜から朝にかけて台風が通過した時の事です、私のチーム6名は眠れぬ夜を雨漏りするテントの中で、色々な話をしながら過ごしていました。そんな時突然、隣の資材保管用のテントが急に10m程上に浮き上がり、そのまま100m先まで飛んで行きました。また私のテントの下で何やらもぞもぞと動く物があり、豪雨の中テントの下を覗いてみると2m程のヘビがうごめいていて驚いた、などのできごともありましたが、前日から台風に備えテントを支えているペグ(杭)を長い物へ代えていたため、私のチームのテントは無事に台風に耐え朝を迎えることができました。

今でも覚えているのは翌朝の澄んだ空気のおいしさと、透き通る様に美しい青空と美しい濃緑の蔵王の山々です。チームミーティングで子供ながらに自然の中での人間の無力さ、共存の必要性について話し合ったことを今でも覚えています。


思春期

中学校は海岸線に面した、市立の茅ヶ崎第一中学校へ通い、入学式とほぼ同時に陸上部へと入部し、100m・幅跳びの個人種目へと進みました。
親の目から見て小さい頃から足が特別に速かったとのこともあり、1年生で県大会に出場したものの、スターティングブロックの使い方もわからず、スタートラインで戸惑っている写真が今もあります。

父が日本大学の理工学部を卒業している影響か、高校は日本大学付属藤沢高等学校へと進みました。
ここで私の人生における大きな転機となる「馬」との出会いがあったのです。

その時は、特に強い思いもなく、何か導かれる様に自然と始めた馬術でした。
個人競技でもなく、団体競技でもない新たな日々の取り組みと生活。
現在の私は「歯科医師という仕事は、自分の人生そのものだ」と日々感じ取り組んでいますが、馬術にとりつかれていた日々も今と同じく「馬術とは、人生そのものではないか」との想いで自分自身と競技馬を鍛え続ける毎日を過ごしていました。

私が馬と出会ってから、今のつじむら歯科医院を開設するまでの、12年間はほぼ休むことなく365日天候に関係なく馬に乗り続け、多い日には一日14時間・30頭以上乗っていることもよくありました。

特に高校生活3年間は常勝日本一の日本大学の馬術部にいたという事もあり、競技に勝つこと意外はまったく認められず、結果を残すことの大切さ、難しさを身にしみるほど体験しました。

合宿生活をしながら朝の授業に出席する際は、高校から離れている所に、馬場という練習場があったため、朝の練習後にそのまま馬に乗って高校へ行き桜の木に馬を繋ぎ、出席をとったこともありました。

合宿中には朝4:00から夜9:00頃まで練習に励んでいたため夜には足の筋肉が硬くなり長靴(馬術用のブーツ)が脱げなくなり、疲労もともない合宿所の玄関でそのまま朝まで寝てしまうような生活をしていました。

今思い起こすと考えられないような生活ですが、当時の私は一切、いやだとか苦しいなどと思ったことはなく、全ての競技で勝つという目標達成のためだけに、確実に勝つためだけの準備を毎日行なっていたのだと思います。それでも不思議とインターハイにでたり、競技でMVPを獲ったりしても結果に対して、ものすごく嬉しかったと思った記憶はあまりないのです。きっと馬と自分を鍛え上げ結果を残せるまでの状態へ人馬一体となり高めていく過程が私にとって最高に楽しかったのだと今は思います。

今のつじむら歯科医院の取り組みも私にとってはまったく同じで、つじむら歯科医院に来院していただける全ての患者様の口腔内の健康を生涯に渡り機能することができるように維持・増進できるようなシステム作りを行い、確実に目標を達成するために今の当院の優秀なスタッフと一緒に日々努力を続けていると言うことが、今の私にとっては非常に楽しくまた働きがいを感じています。

更に最近確実に結果も出始め、本当に毎日が充実していて楽しいです。「歯科医師という仕事は今の私にとって人生そのものです」

話をもとに戻すと、高校生活の全てを馬術に費やした私ですが、3年生のインターハイが終わり周りの同級生から少し遅れながら進路を決める時期となり、改めて自分が社会人になった時、世の中に対し何ができるかを担任の物理学の古谷先生と、父に相談しながら自分で考えた結果、2つに絞りました。

小さい時からスポーツばかりをしていて、恥ずかしながら1度も塾に行った事のない私でしたが、スポーツで培った集中力を武器に受けた授業には集中していたため学力は一番ではなかったものの、そこそこの成績でした。自分の考え次第で色々な方向から答えを導くことができる数学が好きで、進路を決める時期の付属の全国模擬試験が4回行なわれ、後半2回は全国トップとなったこともあり、数学の教師になろうかと考えていました。

もう一つが、自分の手を使い人の苦しみ(痛み)を取り除くことができる歯科医師という今の職業でした。

私と歯科医師との初めての出会いは、小学校低学年の時でもちろん原因は虫歯でした。当時の虫歯予防といえば歯磨き以外になかった様に思いますが、当時サッカー少年だった私は夕食後はほとんど歯を磨かずにそのまま眠る日が多く、ある時歯に痛みを感じ母に連れられて歯科医院に訪れ、今でも感覚が思い出されるような麻酔の経験をし、数日間痛い思いをした事がありました。それからは毎日しっかりと歯磨きをするようになった記憶がありますが、当院の歯科衛生士さんが行なう様な丁寧なブラッシング指導を受けたことはなく、あくまで自己流で、磨けているのではなく、磨けているような気になっていた様に思います

その頃の子供の自分から見た歯科医師の姿は、決して憧れるような職業でなく、今の私の姿は夢にも想像できなかったことでしょう。

しかしその経験・記憶から何とか痛くない歯科医師を目指そうと心の奥深くで叫ぶものがあり、最終的に数学教師ではなく歯科大学に進学することを決めました。

歯科大学に入学するにあたっては、小さなときから何をする時も私の判断、希望を常に前向きに見守ってくれた、父と母に大変感謝しております。

歯科大学に進学してからも、馬場(馬に乗る場所)を大学の近くに移して朝4時に起きて5時から馬に乗るという生活は続き、朝のうちに2頭から3頭の馬にまたがってから、大学へ通い授業が終わると再び馬場へ向かい馬と生活を共にしていました。

その頃から競技選手としてだけではなく、インストラクターとして多くの生徒を指導するようにもなり、休日には色々な職種の方々や、かわいい子供達との交流もできました。夏には生徒達の競技も兼ねて、小淵沢に5頭の馬と共に生徒20名程を連れて合宿を行なったり、三浦の海で馬に乗ったまま海に入り泳いだりと今までとは違った楽しみを感じながら、自然に囲まれた中での生活を送っていました。

医療にかかわる専門職である大学の授業のなかで、私は特に手を動かす実習が好きで、いつも友人の仕事量の2倍はこなしていたように思います。大学5年生の小児歯科の臨床実習時には、馬と喧嘩をして(気が強く言うことを聞かない馬を素手で殴り)左手首の骨が折れてしまい、この実習を休んだら単位が採れず進級できないという時もありましたが、担当の整形外科の医師に断られる中、無理やり頼み、着脱可能なギブスを作っていただきました。実習時にはギブスをはずし、柔道部の友人にテーピーングをしてもらい脂汗をかきながら無事、実習をこなしたという今では楽しいエピソードもありました。他には特に問題もなく6年間の大学生活が過ぎて行きました。

大学生活後半には、馬術において再び競技漬けの生活に身を置きたくスポンサーと共にグリーンフィールド乗馬クラブに移りました。県大会・関東大会・東日本大会・全日本大会と1年中競技だけに集中した2年間を過ごし、歯科医師国家試験の一週間前の全日本の競技にまで参加していました。

この競技生活の中で僕の人生感に多大な影響を与える井上 喜久子さんとの出会いがありました。井上さんは4度のオリンピックに出場し、数多くのタイトルを獲得するだけでなく、日本の馬術界の歴史全てを知っている神様的な存在で、私が馬術の教本として学んだ「遊佐馬術」の遊佐さんの指導を唯一受けている貴重な存在でした。全日本で入賞し、表彰式の後にJRAの山谷さんという有名な方からある馬の調教に一定期間付き合って欲しいという依頼がありました。快く引き受け埼玉県の狭山町・東京都多摩川へと足を運ぶようになり、ここで井上さんと巡り合うようになりました。

この時に私が大学を出て国家試験合格後に勤務する事となるしのはら歯科医院の院長夫人の馬にもかかわるようになりました。

井上さんは自分の本拠地である三浦のグリーンフィールドにも訪れてくださり、当時私が乗っていた「飛鳥」という馬に井上さんも騎乗するようになりました。毎回騎乗するごとに色々なアドバイスや指導をしていただき、特に馬以外のセルフコントロール:どんな時にも平常心でいられる様な精神面のコントロール・礼儀作法・期日を見据えたセルフプログラミングなど多くの知識・躾を受けることができました。それから半年ほど過ぎた頃に井上さんから次の関東大会に「飛鳥」で一緒(相乗り)に出場しましょう、との嬉しく責任の重いお誘いがありました。その後の県大会では、自分が1位通過で関東大会の出場件を確実に獲り、3ヶ月後の競技へ向けて井上さんと二人三脚で「飛鳥」の調整を行ないました。井上さんは馬術歴50年を超える競技生活の中でこのような相乗りする(同一の競技馬に他の選手を乗せる)ことはしないと決めていたそうですが、なぜか私と組んで出場するということとなりました。ねらうは種目別同時優勝で、お互い負ける要素を排除するために練習と調整を行い本番に挑みました。

 

大会当日、自分の競技の方が先に行なわれ、すぐに「飛鳥」を井上さんへ渡し、無事、井上さんの競技も終了後、二人でお茶を飲みながら結果発表を待ちました。

当日は人馬共に予定通りベストコンディションで挑めていた為、お互いに余裕がありました。表彰式では「飛鳥」と共に私と井上さんのお互いの競技で優勝という最高の結果を得ることができ、お互いのトロフィーに「私との相乗りを記念して」とサインをいただき、今も私の部屋に飾ってあります。このときの充実感は一生忘れることは無いと思います。

このように私にとって馬術を通して学んだこと、身に付けたことは計り知れず、特に数学的に考えると目標に向かう為の公式を身に染み込ませた時期とも思えます。


 

勤務医時代

このような充実した学生時代を経て、歯科医師の資格を取った後、馬術を通して紹介をして頂いた、「しのはら歯科医院」にて勤務医として働かせて頂くこととなりました。しのはら歯科医院の篠原明仁院長は非常に技術力に優れた先生でまた患者様とのコミュニケーションを重視していました。この様な素晴らしい環境で勤務させていただき、他では見られない一流のテクニック・スピードと完成度の高さを毎日、目の当たりにして良い物を見る目と技術を習得させていただきました。

学生の時にはそれなりに自信があったつもりでしたが、臨床医(現場)の凄さ、素晴らしさには驚き、「自分も少しでも早くこんな風になりたい」とすぐに目標は定まりました。

そうなれば後は計画をたて突き進むのみです、次の日から朝早く出勤し朝・昼休み・診療終了後に模型を相手にトレーニングし、篠原先生の空き時間にチェック・指導を受ける日々を続けました。

またしのはら歯科医院のスタッフにも練習台となってもらい必死で勤務し非常に充実した価値のある勤務医時代を過ごしました。

 


つじむら歯科医院誕生

しのはら歯科医院に勤務をしながら、徐々に私の次の目標が「自分の医院の開業」という方向へ向けられるようになった頃、藤沢の乗馬クラブで調教を頼まれていた「舞」という馬を秦野で行なわれる県大会に出場させることなり、偶然今の伊勢原市小稲葉の地を知りました。近くの畑からは富士山や大山が見られ、こんなところで開業できたら診療所の隣に馬場(馬の練習場)をつくり毎日馬に乗れそうでいいなと思い、私の馬術のスポンサーや生徒達にもそんな話をした記憶があります。

それから半年もしないうちに現実となり、1995年4月1日に現在の新診療所の向かいに開業することとなりました。

患者さんとのコミュニケーションを大切にし、質の高い医療を提供し、生涯に渡り健康な口腔内を維持できるような医院にする
つじむら歯科医院が自分にとって一番だ

と思って頂けるようにする、という強い意志のもと開院させていただきました。

しかし、その頃に私が考えていた質の高い医療とは技術力の高い医院であり、今思えば医院側からの自己満足に過ぎなかったように思います。

開院当時、来院していただく患者様のお口の中の環境はどこから治療をはじめてよいか迷うほど虫歯・歯周病がひどく予防管理をする以前に、まずは治療に追われる毎日が続きました。

そのような口腔内の影響もあってか、丁寧な治療をすればするほど、治療後に虫歯や歯周病が再発しないように予防管理を勧めれば勧めるほど、喜んでいただけるのではなく

「痛くなったらまた来るから、とりあえずここだけ早く治してよ」
「いつになったら治療が終わるの」
「予防は説明が長いし、もういいから適当に終わらせてよ、悪くなったらまたその時やり直すから」
「なぜ痛くもないのに検査しなければいけないの?」

と不満を口にする人のほうが増えてくるばかりでした。

しかし、いくら良い治療をしても、治療後に定期的なケア(メンテナンス)を受けていただけないために、次に治療に来たときには、かなり悪い状態になっているということが続いていました。

しかし、保険内での治療でも定期的なメンテナンスをしっかりとしていると、次に治療に来たときでも、状態が良いことも数名の患者さんから感じていました。

治療を繰り返して行くだけでは、決して患者さんのためにはならないと私とつじむら歯科医院のスタッフにとっては、どうして自分たちの思いが伝わらないのか、なぜ体の一部である歯の大切さを解っていただけないのか、つじむら歯科医院に来院してくれる患者さんの歯を生涯に渡り守りたいという信念があるがゆえに悩みました。本当に辛かったです。

達成しなければならない目標は決まっているのに、どうしたら良いのか、方法・導き方がわからず、このままではいけない、このままではいけない、と毎日治療を繰り返しながら悩み続けました。

この頃に私が治療した一人の患者さんを通し、自分の考え方の誤りに気づき、学んだことがありました。


治療中心から予防への転機

その患者さんはお口の中の崩壊が激しく、このままでは必ず将来に全ての歯を失うことは確実だというような状態で、また顎の関節にも機能不全が認められました。
開業当時から私は、つじむら歯科が休診日の日には家族に迷惑をかけながらも、自分の歯科医師としての知識・技術を向上させるために常に研修に参加していました。
そのため、今の自分の技術によりこの患者さんの口腔内を治すことができると確信を持って治療に全力を尽くし、あたりました。

まず顎の関節の機能を回復する為にコンピューターを用いた顎機能検査を行い、正しい顎の位置を導き出しその位置で一定期間維持し再びコンピューターを用い関節の機能が改善したことを確認した後、設計・材料全てにこだわりを持って義歯を作製し装着させて頂きました。

治療終了後、結果として口が開きにくかった患者さんの口が開く様になり審美的にも優れ、硬いものでもしっかり咬めると、全ての治療過程について私は非常に満足をしていました。自分の治療における理想はこの様な治療内容だとさえ思っていました。

しかし患者さんの治療に対する満足感はさほどでもなく、私の目指していた質の高い医療とは、単に高い技術力を持って失われた口腔機能を回復するというだけで、大切な事が欠けていたのでした。

それは「患者さんと一緒に治療に取り組む」ということです。

その頃の私は目の前の患者さんの主訴・症状を取り除くことだけを考えていたのです。この時、技術的に自信があった私は医院側から一方的に医療を提供していたのです。


治療中心から予防中心へ

当たり前ですが歯科医院に患者さんは、症状があるから来院し治療を受けます。しかし生活習慣やお口の清掃状態、口腔内のリスクファクターなどが絡み合い虫歯や歯周病が発症するのです。「患者さんの口腔内の健康を生涯に渡り健康な口腔内を維持する」ことを目指す、つじむら歯科医院に足りなかったところはこの点について触れていなかったことです。

そのために、まず患者さんのことを良く聞き、良く知り、病気に対し向かい合い、一緒に治していくという事が一番大切だったのです。

もちろん高い治療技術が必要であることは言うまでもありませんが、患者様とコミュニケーションを取りながら一緒に治し予防をしながら生涯ともに歩んでいけることが自己満足でない本当の意味での「質の高い医療」だということがわかりました。

そのころから、つじむら歯科医院内のスタッフ全員で、どうしたら来院していただける患者さんの口腔内の健康を良い状態に保てるか、そのためにはどんな検査が必要で、個人個人に合わせたプログラムをどう組み、どのようなメンテナンスを行い、評価すればよいかなどを、毎日話し合いました。

その結果、世界で最も予防歯科の進んでいる北欧のシステムを取り入れ、まだ日本国内ではなじみのない本格的な予防医療の領域へ踏み込みました。

予防医療を開始した当初は、検査から予防プログラム・評価が、つじむら歯科医院で実際に機能するかどうかの、検証を日々繰り返し行い、1年ほどが経過をした頃から確実に虫歯・歯周病のコントロールができることがデータと患者様からの多くの声から確信できる様になりました。

何よりも嬉しかったことは患者様とつじむら歯科医院との距離が非常に近くなり充分なコミュニケーションのもと毎日楽しく診療ができる様になったことです。
このことにより予防に対する患者さんの理解も急に得られるようになり今までの悩みが解消され始めました。


治療中心から予防中心へ

もちろん予防の内容も日々変化しよりよい方向へもっていく為に、私は2003年に本場の予防を習得する為にフィンランドへと渡りトゥルク大学のマキネン教授のもと集中的に予防の歴史、方法など、実際に予防をしている現場(妊産婦への母子感染の指導・幼稚園時のキシリトールの使い方・保健所の取り組みなど)を見ながら学びました。

私が一番関心を持ったことは、フィンランドという国の中でも地方自治体ごとに国民に対する予防プログラムが全て異なっているということでした。つまり予防を提供する側と受ける側の環境(場所・生活習慣・年齢層)により予防の方法は違うということでした。しかしフィンランド自体、国として国民の健康を守ろうという姿勢が決まっている為、どの自治体も確実に虫歯・歯周病をコントロールできているのです。

これはフィンランドのむし歯・歯周病が少ないという歯科だけにいえる事ではなく、国民の国に対する信頼感、教育環境、経済、老後への安心感など多くにおいてフィンランドは2004年現在、世界一となっています。このことはフィンランドという国自体が国民のためになる最善の方法を20年前から真剣に取り組んだ結果であると私はフィンランドの研修で強く感じ、すっかりフィンランドのファンになってしまいました。

しかし残念ながら私たち日本の現在の政治活動を見ても国の制度としてフィンランドの様な仕組みにすぐに変わる事は期待できないため、歯科に関しては、まずつじむら歯科医院が、患者様の健康を守り育てる歯科医院づくりを来院される患者様と共に行い、つじむら歯科医院が情報の発信基地となれる様に頑張って行きたいと考えました。

実際フィンランドからの帰国後、研修内容がテレビ放映されたり、最近、当院の取材があったりと少しずつではありますが、世間も予防歯科に関心をむけていただける様になってきたようです。

それからというもの予防への知識と関心がある優秀なスタッフが集まり、チーム医療として休診日には医院内外での研修会や院内症例検討会を行い、日々医院の質の向上、環境を整えています。

2004年には予防に対するニーズが高まり、メンテナンスをするためのユニット(場所)のキャパシティーを超えてしまったため、2005年1月より診療スペースと予防スペースを別にした今の診療所へと移り現在に至ります。


治療中心から予防中心へ

私たち人間にとって歯というのはどのような存在でしょうか?

野生動物にとって歯を失う事イコール「死」を意味します、しかし人間には300年以上前から歯科医療と言う名の治療行為が行われていたため、歯を失っても義歯(入れ歯)によりとりあえず、何もないという状態は避けられます。しかし医科の分野で行なわれている治療と歯科で行なわれる治療とは根本的に違いがあるのです。それはご存知の通り1度失った永久歯は2度ともとには戻らないのです。

「全部で28本も歯があるから2・3本歯がなくなっても死ぬわけじゃないし、モノも食べられるからいいや」といわれる方もまだ、つじむら歯科医院にもいらっしゃいます。

しかし、それはとんでもない誤りなのです。もし皆さんの手の指10本のうち1本失うとしたとき、1本ならいいやと思えるでしょうか?

そんなことはないはずです。指は機能しているところが目に見えているから失ったら困ると強く思えるのかもしれません、指だけでなく歯にも一本一本大切な機能があり、私たちの体を支えています。歯の機能としてまず思い浮ぶことは美味しい物を美味しく食べるという事だと誰もが考えます。

つじむら歯科医院ももちろんそう考えますが、それ以上に重要と考えている機能が1つあります。

それは咀嚼器官のみが行なうことができるストレスマネージメントという機能です。この機能は最近になり私の恩師でもある、佐藤貞雄教授とオーストリアのスラブチェック教授から学んだことで、人間は仕事や家庭など社会生活を営む上でストレスが発生します。内臓系の器官はストレスに対し反応することはストレス性胃炎や胃潰瘍などからも有名ですが、私たちつじむら歯科医院が皆様とかかわりを持っている咀嚼器官の筋肉は全身の他の筋肉とは異なり内蔵系由来の組織でストレスに対し反応しているのです。

また全身のなかで咀嚼器官だけがストレスを発散できることが多くの研究から証明されました。

「ストレスマネージメント」は夜間の歯ぎしり(グラインディング)やくいしばり(クレンチング)、タッピングというかたちで行なわれます、この歯ぎしりなどは無意識下で日中かかる咬合力の何倍もの強い力でおこなうため、しっかりとした歯・歯周組織・正しいかみ合わせでないと、とてもこの力に耐えることはできないのですこれらの理由から、もし歯を失ったとしても決してそのまま放置してはいけないのです。

つまり歯を失ったままにしてしまうとストレスを上手く発散できなくなり、脳への負担が過剰になってしまうのです。

日本でも最近の調査結果から歯のある人とない人での痴呆になる率が歯のある人に比べ歯のない人のほうが3倍多く、また脳梗塞・寝たきりになる率にも有意差が認められています。

現在北欧の歯科予防の先進国では歯科疾患が原因と考えられる痴呆・脳梗塞・寝たきりなどは激減しています。

また世界の医科の予防医療の現場では、もうすでに口腔内の健康の重要性がクローズアップされ始めています。

当院に来院いただいている患者様の健康を守るという意味でも口腔内の予防管理が重要だと考え、つじむら歯科医院が行なっている予防活動により皆様の生涯に渡る健康のお手伝いができることを、これから先つじむら歯科医院の目標としてまいります。

しっかりとした検査・予防プログラム・評価を行なっていけば、健康な口腔内を維持していくことは決して難しくありません

大事なことは歯があるうちにできるだけ早く(早すぎることはありませんできることなら出産前に母子感染指導から受けていただき実行すれば虫歯菌のいない口腔内にすることができるのです。)

ぜひ、つじむら歯科医院と一緒に楽しく予防活動をしていきましょう。

さらに、予防効果を高める為の、
むし歯・歯周病の根本的治療の導入そして再生医療へ

これら従来型の歯周病治療を根底からくつがえす、『口腔内細菌叢の改良:トータルヘルスプログラム』(オーダーメイド医療)がつじむら歯科医院で、20074月からスタートしました。


Total Health Program 開発経緯】

先進国の中において、むし歯・歯周病の発症抑制がコントロール出来ていない私たちの日本において、歯科疾患罹患率は非常に高く、成人の8割以上の国民が発症していることがテレビ放映からも知られています。

 また近年の研究により歯周病は高血圧・糖尿病・心疾患・脳血管疾患・早産・認知症・バージャー氏病など成人疾患をはじめとする、全身疾患の起因因子、憎悪因子であることも解明され、歯科疾患の根本的解決が急務となりました。

細菌による感染症である、むし歯と歯周病が日本において解消されていない理由は、実は単純で、感染症の原因であるむし歯、歯周病の原因菌の質的コントロールが医療現場で行われず、痛みをとること、失われた歯質、歯を補うことだけが治療として行われているからなのです。

 予防先進国として有名な北欧諸国では1980年ごろから、徹底したP M T C(歯科衛生士による専用機器を用いた細部にわたるクリーニング)を何世代も継続することにより、国民全体の口腔内細菌に対し30年を超え良質な状態へと変えていくことに成功し、むし歯は稀な疾患へと変わり、歯周病は制御できる疾患となりました。ただ治療主体の日本における保険診療システムでは40年経過しても、むし歯の洪水、歯周病の蔓延を食い止めることができずに現在に至ります。

 歯科医院に来院される多くの初診の患者さんが、『私は昔からむし歯ができやすいのです』『私は歯肉が腫れやすく歯が浮く感じが良くあるんです』と言われます。むし歯になりやすい、歯肉炎・歯周炎になりやすいと言われる人は生涯むし歯や歯周病の治療を繰り返しながら、歯を失い続けなければならないのでしょうか?それらは老化現象という言葉に置き換えられていませんか?

 人生60年の時代であれば、まぁ生涯自身の残存する歯で噛みごこちを、味わいながら食事が楽しめるかも知れません、しかし今や人生100年時代、老化現象として全ての歯の喪失を済ませていてはいけません。

これは今までの痛みを伴う外科的歯周病治療とは異なり、RCR検査(むし歯菌、歯周病菌に対する遺伝子検査)、ガスクロマトグラフ、高精度の位相差顕微鏡などの検査機器を用い、むし歯、歯周の原因菌を確認し、適切な薬剤と抗菌剤によりまずは術後感染予防を行った後、集中的にむし歯菌、歯周病原因菌や汚染物質を除去してしまうという、世界でも類をみない治療法です。

今まで行われていた外科的治療と比較した最大のメリットはほとんど痛みを伴わず、精神的、肉体的な負担が少なく患者さんに優しい治療であるという事が一つと次に治療に有する期間と来院回数の大幅な縮小(従来週1回の通院で6ヶ月間かかっていた治療が、それ以上の効果を獲得しながら平均6~8回の来院で終了します)つまり肉体的・時間的・精神的に余裕が無くてもほとんどの患者さんが理想の健全な細菌叢にたった8回ほどの来院で到達できてしまうです。
さらに治療後の改善効果も、歯周病菌の再感染予防と生活習慣の改善とともに定期メンテナンスを受診いただくことにより長期的に維持され20年を超えて安定的であったとの報告があるほどです。

人生100年時代に向けて、まずは口腔内細菌叢の改良を行われることをお勧め致します。

口腔内の崩壊をトータルヘルスプログラムで食い止め、予防医療の実践で再発を防ぐという最良の体系が整い、2008年からは、失われた組織を回復させる技術を習得するために海外の大学へと通い、2010年にはUSC南カリフォルニア大学、2012年にはUCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校で学び、歯牙の欠損部への人工歯根の埋入をはじめ、失われた顎の骨の再建術等の再生療法を学んび、現在のつじむら歯科医院での技術に導入しております。

今後も日々進化し続ける歯科医療技術を、世界中から学び取り、つじむら歯科医院に来院される患者様のQOL向上に努めていきたいと考えております。

2013年からつじむら歯科医院で誕生したトータルヘルスプログラム(根本的歯周病治療)を導入される歯科医院が全国に広がりはじめました。
導入にあたりつじむら歯科医院でトレーニングを積んだ歯科衛生士が全国の歯科医院に14ヶ月間での教育を行っています。
そして2017年には北は北海道から南は九州まで50施設のクリニックでつじむら歯科医院と同様にトータルヘルスプログラムと予防メインテナンスが施術可能となりました。
この全国的な広がりにより、引越しや遠方でトータルヘルスプログラムを必要としている患者様にも安心して受診いただける様になりました。
また日本における予防拠点として存在するつじむら歯科医院において、2017年6月にアメリカ、ニューヨーク大学 ピーターミラー博士から名を受け、IDHA国際歯科衛生士学会、初代会長に私が任命され、国内外問わず、予防歯科の普及に努めるお役をいただきました。

2002年よりつじむら歯科医院が理念として掲げて参りました『口腔の健康から全身の健康へ寄与する歯科医療の提供』が咀嚼を基本とする食育プログラムもトータルヘルスプログラムに加わったことにより、15年の時を経て実現できる様になりました。
つじむら歯科医院ではさらにこれからの10年先の歯科医療のあるべき姿に合わせて、2017年12月1日より新たな理念として『人生100年時代をサポートする歯科医院』を掲げ再出発しました。
2025年から今までの高齢化社会から4人に1人が75歳を超える超高齢化社会へ突入します。これは単にお年寄りの割合が増えるという現象ではなく、平均寿命が100歳へ向けて伸び続けるという国の試算のもとづいています。
いかに豊かで楽しい老後?(二度目の人生)をつじむら歯科医院にご通院いただける患者様に提供できるか。これから私たちは健康寿命と平均寿命の差を縮めながら、平均寿命を100歳まで伸ばすことができるのか。
生涯の内でどのタイミングで口腔内細菌リスクをリセットし、口腔内環境のリフォームを行うべきか。それらの課題を日々研究、実践して参りますので、どうぞつじむら歯科医院の取り組みと活動へのご理解・ご活用・ご支援の程よろしくお願いします。
最後までお読み頂きありがとうございました。

医療法人社団 つじむら歯科医院
理事長 辻村 傑

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